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2010/06/10

学ぶ、ということを考えた

  1. 理解できます RT@3keys_takae: 学歴や肩書きって一つの尺度に過ぎないんだよな。否定してるのではなくその尺度を必要としてる時にしか意味をもたない。でもその影響力が今の社会において必要以上に大きいから学歴等をつけるとまるでそれ以上のところでも優れているかのような...
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学ぶ=学校と見立ててみると、ぼくは全く学ぶことが出来なかった。このことを書き出すと長くなるのでかいつまんで書いてみるが、お情けで入れてもらった一 年保育の幼稚園も、その後に続く義務教育もダメダメだった。お話にならないくらいダメダメだった。学校も授業も一生懸命好きになろうとしたんだけれど、学 校もお友達もぼくを受け入れてくれなかったというルサンチマンが今でもぼくの気持ちの奥底に横たわっている。


そんな孤立した小学校時代だったが、ぼくはつげ義春を耽読し、ゴミ捨て場に捨てられていたギターを拾ってきて、そのギターでつげ義春と同じくらい好きだったバッハの音楽を独学で探り弾くことを始める。


他人が認めるか認めないか分らないが、学ぶことに定石はないと今でも思っている。  




2010/05/09

Reich Ravel 即興演奏の練習

  1. 響心会のブログを更新しました。 [響心会の事業内容]こんにちは。 → http://am6.jp/aCTzLb
  2. @koikawa_h 人様の前で何かをするときはまさに〈心赴くまま己を表現〉、それも迷いなく一気に、と思っています。でないと観ている方がつまらない。こんな極限状況の中で〈心赴くまま己を表現〉するために、練習したりするのでは?と最近思っています。しかし文章にするの難しいですね。
  3. 相変わらずスティーブ・ライヒばかり聴いている。これにラベルの「ピアノ協奏曲」と「左手のためのピアノ協奏曲」が追加される。ライヒとラベルな日々。どちらもわたしがひっくり返っても何をしてもどう努力しても絶対に演奏出来ない音楽だから。なんとも情けない無いものねだりなのは一目瞭然。
  4. 和声の感覚が欠落しているわたしの耳というか聴覚にも、協奏曲なのにピアノをはじめ全ての楽器が有機的に絡み推移していく音の流れは理解できる。整然としていて隙のない音楽に圧倒される。乱暴だけどライヒも同じように聴いている。隙だらけで整然としていないものについて考える12時前か。
  5. @koikawa_h この練習というか修練というのが曲者で、〈心赴くまま己を表現〉するための心のありかた、身体のありかたを探ることではないかと考えています。現場で迷いのない自分を出すためにはどうするのか?何をしない方がいいのかと考えます。ただ楽器練習していてもダメではないかと。
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2010/04/19

上手とか下手とかいうことについて

理解できるけれど難しい話 RT @cybersheeptwitt: 音楽を学んだことがない者が行う即興とは。一見自由なようで自由でないものとは。解放されているようで、固着したパターンから離れられないように見えるものは何か。永遠のマンネリズムの中にも自由はあるのか。
@inamodeeso 下手であることを謙虚に自覚して、なおかつ自分の下手さ加減を武器にして突き進んでいるような人は、もはや下手ではないでしょう。下手とか上手というのは面倒くさいな、ということを書きたかったんですが、まとまりません。
posted at 00:14:19
アート・アンサンブル・オブ・シカゴを打楽器アンサンブルだと見立てて一昨日聴いたばかりです。 RT @inamodeeso: 何十年も前のはなし アート・アンサンブル・オブ・シカゴがECMからアルバム出した頃か 普通のバンドになって来ちゃったねつまんないね残念だね という会話
posted at 00:18:43
楽しく狂って虚無の坂を転がり落ちる。エリス・レッジーナを聴きながら RT @sugadairo: 発狂にもいろいろあるな! 怒って発狂と悲しんで発狂は病院行きである。喜んで発狂と楽して発狂はこれは病院に行かなくて良い。皆さん発狂するなら是非喜と楽で!
posted at 01:11:27


2010/04/16

2010-04-15 Miles Davis

  1. LPには収録されなかった曲ですね。これはもう完全にWEATHER REPORT。それも一番最初のWEATHER REPORTRT。メンバーの中にザビヌルがいないのが不思議です。@necoug: マイルス ビッグファン Yaphetという曲がかっこいい
  2. 響心会のブログを更新しました。 [発達障害]夜泣き、疳の虫について考えた → http://am6.jp/9PPBb4
  3. マイルス・デイヴィスの「ザ・セラー・ドア・セッション1970」を買った。2006年のことだ。なんとCD六枚組。値段が値段なので買うまでに一時間も売り場の中で迷ったのを思い出す。¥15120也だ。ファン心理を見据えたお蔵出しだろうな、と思いつつ、今日一気に六枚聴いてしまった。
  4. 凄まじい演奏である。35年という長い眠りから覚めたこの四日間のライヴは凄すぎるな。現代音楽やロックやジャズやファンクその他諸々の要素をチーズフォンデューの鍋に入れ、ぐずぐずに混ざったやつをストリートにぶちまけるとこんな音楽になるんだろうか?
  5. 御大マイルスをはじめ参加ミュージシャンのすべてが素晴らしい。なかでもキース・ジャレット、あんたの切れまくったこの四日間の演奏は特筆に値する。いまのキースにあれをやれと言っても「できねぇよ」と言うだろう。御大マイルスがメンバーに出した指示が「キースにはついていくな!」だ。
  6. 個人的には最少人数で初々しく演奏する初日が好き。アイアート・モレイラ、」ジョン・マクラフリンが入った四日目最終日はぶっ飛びパーティーだ。当時のマクラフリンはマハビシュヌ・オーケストラで超多忙だったはず。
  7. ありがとー! RT@cybersheeptwitt: 「[発達障害]夜泣き、疳の虫について考えた」を見たよ! → http://am6.jp/9PPBb4 /by@yamashinzaki /via@feedtweet
  8. プリキュアは小5の娘が保育園に通っている頃、よく一緒に観ました。 RT@kikko_no_blog: 今の最低最悪のプリキュアに耐えられなくて、一番良かった時代のなぎさとほのかのラブラブっぷりを見てたら、涙が止まらなくなった→http://bit.ly/cVNcEW
  9. @tosibee フェルデンクライスがどんなメソードなのか把握していませんが興味を持っています。ぼくはアレクサンダーテクニークを音楽家向けにしたアンドーバーテクニックの講座に一年間通いました。感想としては、具体的な仮説や方法論を分りやすく提示するメソードのように感じました。
  10. フェルデンクライスもアレクサンダーテクニークも本がたくさん出ている。読んだけれど、狐につままれたというか、全然分らなかった。ボディワークなんだから、実際、身体を使ってやらないと意味がないでしょう。まさに百聞は一見にしかず。訓練している人が本を読むんだったら話は違ってくるか。
  11. @myungja 椅子の前で立つ、座るという動作を検証する課題一つとっても、これは実際習ってみないと分らないと思います。ぼくも講座に参加して、どんなものなのか理解出来ました。自分が緊張する動作はやらない、忘れる、という考え方には影響を受けました。
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2009/11/05

ピアニスト大井浩明氏のブログより2

Bushdog's Tumblr: "«意識されない硬直のために筋肉が動かない――ということは、「滑らかにリラックスしている」と体感している部分が、じつは硬直している、ということです。そしてそれは、意外な部位な筈である。無味無臭だからといって、無毒とは限りません。人間は自分の筋肉を、「思い通りに」コントロールしているわけではない。一旦筋肉の一部がわずかに硬くなると、そのことを自覚する以前に、平気で遠回り指令を出す。その積み重ねが、「指が回らない」状態です。筋肉の動きは感知出来ている筈だ、という思い込みをまず捨てなければなりません。»

— ○○| XupoakuOu"

ピアニスト大井浩明氏のブログより3

Bushdog's Tumblr: "«ある動きを行うために、(A)大枠を支える筋肉、(B)その動作のために縮むべき筋肉、(C)そして何もすべきで無い筋肉があります。弾けているときは、その「支え」や「緩め」はほとんど意識されません。(A)がシュッと屹立していなくても指は回りますが、そこへいつしか(C)が余計な介入を始めたときに、指は回らなくなります。筋肉のストレッチとは、(C)を何もしないままで置くための、神経回路の構築(あるいは再構築)のことです。ある動きに対して、どの筋肉が(A)なのか(B)なのか(C)なのかは、ありとあらゆる側面から自分自身で感じ、探り当てていくしかありません。»

— ○○| XupoakuOu"

ピアニスト大井浩明氏のブログより

Bushdog's Tumblr: "«我々が怒るとき、怒りの科学的成分は90秒以内に血液中から無くなるそうです。すなわち、90秒以上怒りが持続するのは、我々自身が「怒り続けたい」と希望しているからだとか。また、岡田斗司夫氏によれば、デブというのは、デブで居続けるための努力を毎日行っている人々であるらしい。してみると、指が動かない、というのは、指を動かしたくない、と自身が希望しているからに他なりません。指を動かすべく新たな指令を脳から出す必要は無く、余計な指令をやめるだけで良い。ツボに手を入れて、中にある石を握り締め、「ツボから手が抜けなくなった」と泣き叫ぶ前に、まずは石を放せば良いわけです。»

—

○○| XupoakuOu : 汎用クラヴィア奏法試論βーーーおおまかな組織化(その4)

ピアニスト大井浩明氏のブログより"

2009/11/04

ブリコラージュ

Note of Yamashin: "そして、ここからぼくの思弁の暴走が始まるのですが、レヴィ=ストロースの言う「神話的思考」をぼくは「身体的思考」と言い換えることができるんじゃないかと思うのです。
どうしてかというと、脳はさきほどいいましたように「情報の大量摂取・大量廃棄」をまったく苦にしない臓器です。苦にしないどころから、それこそが脳の本性と言ってもよいと思います。脳はいくらでもストックをふやすことができます。
でも、身体はそうはゆきません。身体的リソースは「有限」だからです。
細胞の数は決まっているし、臓器だって、骨だって、血管だって、神経だって…「手元にあるだけ」しかありません。
身体を使うというのは、畢竟するところ、有限数の「ありもの」をどう「使い回し」して、新しいパフォーマンスを達成するか、という「ブリコラージュ問題」です。
ぼくたちは長く武道をやってきたわけですから、身体機能を上げるということは何か外部的な要素を「付加する」のではなく、「すでに持っている身体要素」の「これまでそんな用途で使ったことのない使い方」を探り当てるということだということは身に染みてわかっているはずです。
「術」というのは端的に言えば、「そういうふうには使わない」関節を使い、「そういうふうには使わない」筋肉や腱を使うということですよね。
それは武道に限らず、舞踊や演劇でも変らないと思います。
だから、自分の身体的なパフォーマンスを高めることに強い興味を持続的に抱いていた人間は、多かれ少なかれ「ブリコルール」的になるように思うんです。
ものの考え方までが。
ぼくの場合は間違いなくそうでした。

— TFK2: ブリコラージュ的知性について"