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2010/06/10

学ぶ、ということを考えた

  1. 理解できます RT@3keys_takae: 学歴や肩書きって一つの尺度に過ぎないんだよな。否定してるのではなくその尺度を必要としてる時にしか意味をもたない。でもその影響力が今の社会において必要以上に大きいから学歴等をつけるとまるでそれ以上のところでも優れているかのような...
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学ぶ=学校と見立ててみると、ぼくは全く学ぶことが出来なかった。このことを書き出すと長くなるのでかいつまんで書いてみるが、お情けで入れてもらった一 年保育の幼稚園も、その後に続く義務教育もダメダメだった。お話にならないくらいダメダメだった。学校も授業も一生懸命好きになろうとしたんだけれど、学 校もお友達もぼくを受け入れてくれなかったというルサンチマンが今でもぼくの気持ちの奥底に横たわっている。


そんな孤立した小学校時代だったが、ぼくはつげ義春を耽読し、ゴミ捨て場に捨てられていたギターを拾ってきて、そのギターでつげ義春と同じくらい好きだったバッハの音楽を独学で探り弾くことを始める。


他人が認めるか認めないか分らないが、学ぶことに定石はないと今でも思っている。  




2010/04/10

自治会、子供会そして芸術など

  1. 住処のある自治会の代議員と子供会の会長を一年間、奥さんと二人三脚でやった。代議員は担当区域の回覧板の管理と自治会費の集金、募金の集金など。子供会はけっこうやっかいだったな。行事の届出や保険に関することなど、一回やってしまえばルーチンとしてこなせる内容なんだが。。。。
  2. そんなわけでいきなり初めての雑用の海に落とされた感じで始まった子供会であった。ただし問題はある。この雑用をこなすのが会長の仕事だということ。みんなで分散してやったらもっと楽なのにと思った。なんでこんな一極集中方式がまかり通るんだよ!という?なき持ちになること数知れずであった。
  3. ゆえに役員になりたくないから、という理由で子供会に入らない家庭がかなりある。参加したら楽しいという構図をなんで作れないのか、という疑問がわいてくる。自治会についてもマンションや団地の人達は没交渉だ。昔からあるコミュニティのまま今に至ってしまったのは確かだろう。
  4. 自治会の役員さんたちは60代~70代の人達は中心です。自民党系の議員さんもちょくちょく顔を出している。戦後から高度経済成長期を爆走してきた人達のやり方が、どうしても今の状況に対応出来ていないのではないか?と思うことがある。周りを見ると齟齬はそこかしこにある。
  5. ものすごく緻密な構成と手順で非常にバカバカしい作品を発表していた人達の作品を観たことあります。アルゴリズミックということで。 RT@yasunoritani: 逆に関してはどう思いますか?人間がコンピュータの真似をする。RT@keiichiroshibuy:
  6. @naoemiki 大林宣彦監督の尾道三部作をリアルタイムに観ました。新尾道三部作は観ていませんが。尾道というとどうしても大林監督の背景がリンクしてしまいます。刷り込みですね。機会があれば行ってみたいです。
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2010/04/09

2010-04-08

  1. 4/5(月)に文京区にある「日向ぼっこサロン」に家族で遊びに行く。特定非営利活動法人 社会的擁護の当事者推進団体 日向ぼっこhttp://bit.ly/1wBDPo 理事長のWさん、理事のTさんとは、私と娘が毎年参加している、ボランティア団体の臨海事業で知り合った。
  2. WさんとTさんは、小・中・高校時代、施設で生活していた。知り合った4年前はちょうど大学生。生立ちに興味を持った私は個別にインタビューをする。臨海学校は時間がたくさんあるのです。それは私の想像を遥かに超えたすごい生立ちだった。私の文章力ではとても書ききれない。
  3. Wさんの挨拶文を引用する。興味のある人はぜひサイトにアクセスしてみて下さい。:私だけでなく、社会的養護の下で生活した多くの方々に、また子ども時代虐待を受けて苦しんだ多くの方々に自らの生を肯定して自分らしく生を楽しんで頂きたいと思います。
  4. ある子供達の現状は想像をはるかに越えて過酷だ。印象に残っている女の子がいる。Aちゃんは休むことなく走り回り暴れる。力一杯抱き着き、号泣し、爆睡する。両親に相次いで見捨てられ、泣き叫ぶAちゃんは傷ついた龍だと思った。見えざる人生、語られざる物語というフレーズが頭の中を駆け抜けます。
  5. 限界です。でも限界なのが分らないぼく達。 RT@cybersheeptwitt: 時間キチキチ,お客になった途端に業者に対しての要求水準が高く、何事も安全であることがデフォルト、子どもの遊びもリスク回避。情報の真偽を考えず。曖昧さやリスクを許容できない文化。真面目過ぎ.....
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2009/11/04

「悲しき熱帯」レビストロース氏死去

Tumblr: "asahi.com(朝日新聞社):「悲しき熱帯」レビストロース氏死去 「構造主義の父」 - おくやみ・訃報

ソシュールの言語学などの影響を受けながら、世界各地の民族誌データや神話などの分析を踏まえ「親族の基本構造」(49年)、「構造人類学」(58年)、「野生の思考」(62年)などの著作を次々と発表。未開社会の婚姻形態の比較などをもとに、人類の社会、文化には共通する不変の基本構造があるとする「構造主義」は、学界に大きな衝撃を与えた。

「野生」「未開」の中に現代文明の原型をみるその思想は、進歩主義的で人間の理性の働きを重視する近代思想・哲学の西欧中心主義と鋭く対立。人間の主体性を特に重視した当時の思想界の大潮流だったサルトルの実存主義への批判は、大きな「事件」となった。

その後も構造主義の考え方は、フーコーやガタリら多くの思想家に影響を与え、20世紀ではマルクス主義と並ぶ最も大きな思想潮流として、現代まで引き継がれている。"

ブリコラージュ

Note of Yamashin: "そして、ここからぼくの思弁の暴走が始まるのですが、レヴィ=ストロースの言う「神話的思考」をぼくは「身体的思考」と言い換えることができるんじゃないかと思うのです。
どうしてかというと、脳はさきほどいいましたように「情報の大量摂取・大量廃棄」をまったく苦にしない臓器です。苦にしないどころから、それこそが脳の本性と言ってもよいと思います。脳はいくらでもストックをふやすことができます。
でも、身体はそうはゆきません。身体的リソースは「有限」だからです。
細胞の数は決まっているし、臓器だって、骨だって、血管だって、神経だって…「手元にあるだけ」しかありません。
身体を使うというのは、畢竟するところ、有限数の「ありもの」をどう「使い回し」して、新しいパフォーマンスを達成するか、という「ブリコラージュ問題」です。
ぼくたちは長く武道をやってきたわけですから、身体機能を上げるということは何か外部的な要素を「付加する」のではなく、「すでに持っている身体要素」の「これまでそんな用途で使ったことのない使い方」を探り当てるということだということは身に染みてわかっているはずです。
「術」というのは端的に言えば、「そういうふうには使わない」関節を使い、「そういうふうには使わない」筋肉や腱を使うということですよね。
それは武道に限らず、舞踊や演劇でも変らないと思います。
だから、自分の身体的なパフォーマンスを高めることに強い興味を持続的に抱いていた人間は、多かれ少なかれ「ブリコルール」的になるように思うんです。
ものの考え方までが。
ぼくの場合は間違いなくそうでした。

— TFK2: ブリコラージュ的知性について"