2010/02/08

2/11は表現茶会vol.4をやります



2月11日(木・祝)に表現茶会vol.4を開催します。
(冒頭の写真は表現茶会vol.3のスナップとスタジオ・バミでのワークショップのスナップ。撮影・坂田洋一、やましん)

vol.3では念願かない、亞弥さんとのデュオをやれた。いつも考えている音楽でもダンスでもないことが多少なりとも出来たと思っている。
今回は謡いと舞の冨岡千幸さんをお招きして、これまた音楽でも謡いでも舞でもない、なんというか「壊」れた演劇のようなものが出来たらばと思っていますがどうなることやら。

相方のバミさんは、コントラバスとチェロの名手である岡本希輔さんと気鋭のピアニストである照内央晴さんとのアンサンブルで、一瞬ジャズのピアノ トリオを髣髴させる編成だけれど、様々な場面がめまぐるしく展開する、緻密でエネルギッシュな演奏が展開するのではないかと今から楽しみにしている。ちな みに岡本希輔さんとは先日10年ぶりに再会したやましんでした。

幕間はvol.3でもシンプルで力強いパフォーマンスを堪能させてくれた石川ミラー靖子さんだ。

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表現茶会 vol.4

day 2/11(木・祝)
open 14:30 /start 15:00
end 17:00 or 18:00

場所:スタジオ・バミ(与野本町)
電車でお越しの方は埼京線・与野本町駅まで車で迎えに行きます。
御連絡いただければ幸いです。

※投げ銭制
手作り菓子とお茶での茶会を間に挟みますので、材料代程度のカンパをお願いします。


石川靖子……voice,act
岡本希輔……cello,contrabass
方波見智子……打楽器
照内央晴……piano
冨岡千幸……謡い,act,etc
山崎明日香……朗読
やましん……guitar,etc

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当日のプログラムというか組み合わせを以下のようになります。

1.明日香の朗読(無伴奏)

2.冨岡千幸&やましんのデュオ

3.石川靖子(ミラーさんです)の幕間(ソロで5~10分)

■茶会です

4..石川靖子(ミラーさんです)の幕間(ソロで5~10分)のような後半オープニング

5.岡本希輔&照内央晴&方波見智子のトリオ

●表現茶会について・・・、(スタジオ・バミのサイトから引用です)
コンサートでもなく、ライブでもない。
表現したい人とそれを見たい人が集う「お茶会」です。
イベントというよりも、美味しくお茶を飲む為にパフォーマンスがある。
パフォーマンスが御茶請けとなるような、楽しい会にしたいと思い、命名しました。

スタジオ・バミのサイト
http://studiobami.wordpress.com/

2010/01/14

埼玉日記・年末新年いろいろ

12/27だっただろうか、サティのペットショップにてミドリガメを一匹購入。
もちろん水槽からヒーターまで一式購入した。カメはいままで飼ったことがないので不安だけれど、明日香との約束なので頑張って飼うことにする。カメキチと命名する。

奥さんの仕事とライヴが過密に展開する年末であった。兼業主夫なんて悠長なことを言ってられなくなる。例年になく緊張感あふれる年末であった。

大晦日は久しぶりに念入りに蕎麦汁を作り、雑煮と煮しめ用に出汁をひいた。

元旦は寒かったけれど、一家でチャリを連ね、大宮にある氷川神社に初詣ときめこんだが、氷川神社は勘弁してほしいくらいの人出であった。本殿までたどり着けないすさまじさだ。
本殿に行くのを諦める。

残念無念さいっぱいの奥さんは力なくうなだれるが、縁日の屋台が連なる沿道を引き返すぼく達であった。
屋台テントの中でぼくは、カルビのようなわけの分らん串焼きをほおばりながらビールを飲み気分を取り直す。奥さんと明日香はたこ焼だ。 喰い足りないぼくは、ちょっと冷たい広島風お好み焼きも喰らう。

2日は近くの別所沼公園にある、弁天様(弁財天ね)をこれまた一家でチャリを連ね、お参りに行く。 誰もいなくて気分が良い。 みんなで芸能の神様に手を合わせたのだ。
ものすごく元気な黒シバと友達になる。 ワンワンワン!

そんなこんなで正月はあっという間に終わったのだ。

1/9はスペシャルカラーズの新年会に行く。
みんなでサルサを踊る、というか踊り方を教えてもらう。
身体がついていかないぢゃないか。。。。
先生のかおりさん(だったよね)はとっても素敵な人で、たどたどしくステップのような足踏みをするぼくの手をやさしく取ってくれてリードする。感動する。
ぼくは、おもわず惚れる。

ちょっと遡るが、12/19にスタジオ・バミで開催した「表現茶会vol.3」は無事終了する。
ぼくは亞弥さんとデュオをやった。すごく楽しく、そして勉強になった。
映像作家のさかたさんがYouTubeに動画をアップしてくれたのでリンクさせてもらいます。



2009/12/13

ぼくのお家に遊びに来てね!



あの家はいったい何だったんだろう?と最近思う。いちおう一軒家なんだけれど、ニ階に上がる階段は、肝心かなめの天井部分がベニヤ板で見事に塞がれてい る、つまり二階に上がる、二階から一階に降りることが出来ない家。これは二世帯住居にして、家賃をまんま二倍にしようという大家の陰謀だ。天井を塞がれた 階段は、ただの純粋階段として、極めてコンセプチュアルな存在をしていたことになる。貧民窟の現代芸術。
労せずして出現したコンセプチュアル・アート。

ぼくたち家族五人はここの一階で生活していた。じつは二階でも暮らしていたんだけれど、一階で暮らしていた家族が、夜逃げ同然に出て行ったのを見計らい、風呂のないニ階から、風呂のある一階に引っ越した、というより移動したのだ。
純粋階段の存在だけでも死ぬほど笑える家だが、一階部分の面白さは、これだけではない。間取りは六畳、三畳、鰻の寝床のような台所、トタン張り の風呂場と物置きだ。これだけならば何の変哲もない、超のつく狭小住宅だが、問題なのは六畳間の真中に、なぜか柱が立っていることだ。そして畳から天井ま での高さが半端じゃなく低い。当時、小学校2年生だったぼくが手を大きく伸ばしてジャンプをすると、天井に手がついた。三畳間に至ってはジャンプをするこ となく、なんなく手がとどいたのだ。そしてどこを向いても圧迫感と閉塞感溢れる空間を切り裂くように鎮座している柱の存在は、なにか現実を突き抜けてし まったものを感じる。
夜、さぁ寝ようか、と家族全員の布団を敷きつめると、布団の間からにょっきりとそびえ立つ柱。寝返りをうつと必ずぶつかる柱。夏は兄弟三人しが みついて、ミーン、ミーンとセミの泣きマネをした柱。見ようによっては、映画“2001年宇宙の旅”の冒頭に出てくるモノリスのようにもとれるが、所詮は ドンブリ勘定でこの家を手掛けた大工の棟梁の悪意だけが伝わってくる、そんな家なのだ。便所(トイレとは呼べないシロモノだ)は汲み取り式。おそろしく小 さな便壷なので、親子五人がフルに大小便を排出すると、すぐに満杯になってしまった。困ったぼくたちは、母親を省く、男四人(内訳はオヤジ&男兄弟三人 だ)の小便は庭でする、というルールを決めた。おかげで便壷はパンクしなくなったが、小さな庭の草花は全て枯れ、庭から異様な臭気が漂ってくるまでに時間 はさしてかからなかった。隣に住んでいた大家は、当然のことながら激怒した。

「おい! なんの恨みがあってションベンまき散らすんだよ!犬だってもう少しましなションベンのしかたをしているのに、あんたらはなんなんだよ!」

「えぇっ! こんなひどい便所を作ったのはお前のせいだろ!」

と言いたいところだが、ぼくたちは平身低頭平謝り、そくざにオシッコ場をトタン張りの風呂場の外側を流れる排水溝に移動する。ぼくたちは面白が り、四人一列に並んでトタンめがけて放尿する。真冬の四人放尿は湯気が一気に立ち上がり、とても幻想的。真夏は言語道断なアンモニア臭さ、あきらめて沈黙 する大家……。トタンはどんどん腐りはじめ、しまいには穴が開いてしまった。トタンめがけて放尿しながら、ぼくは小学校時代をこの家の二階と一階で過ご す。当時は何も比べるものがなかったので、これがごく普通の生活だと思っていた。

小学校には毎日通っていたが、授業中、休み時間、給食、放課後という学校での生活は、終日気絶していた極めて自閉的な子供であった。群れの法則 に従い、毛色の変わったヤツは虐められたりするわけだが、コミュニケーションが成立しない宇宙人は虐めの対象にすらならない。お友達関係を求めるフェロモ ンが限りなくゼロなわけだからしかたがない。そんな生活の中で、ぼくはマンガとテレビに耽溺していった。

当時のマンガ業界は、月刊誌から週刊誌への移行期だったように思う。種類も圧倒的に少なく、今では信じられないことだが、ほんの少しの努力で、 売られているマンガの全てを読破することが出来た。母親はなんの躊躇もなく、マンガ本をぼくたちに買い与えた。閉塞感溢れる家の中で育ち盛りのガキに暴れ られるよりも、雁首突き合わせて、静かにマンガを読んでいてもらいたかったわけだ。もちろん欲しかったマンガの全ては買ってもらえなかった。それでもノド から手が出るほど欲しいぼくは、その度に禁断症状をおこし、六畳間の柱を力いっぱい蹴った。それでも気持ちが治まらないときは、近所のゴミ箱をあさり、そ れでもゲット出来ないときは黙って本屋の前に立ちつくし、お目当てのマンガを手に取りそのまま脇に抱え、黙って帰宅した。

目を皿のようにして耽読し、読み終えたマンガは必然的に弟の手に払い下げられた。お気に入りのマンガは、笛を吹けばどこでも現れる、ロケット変 身モノ?の「マグマ大使」、謎の注射をすると限りなく巨大化する「ビッグX」、エネルギー補充がなぜかタバコ状の物体、それを吸うことでなんとも恍惚の表 情を浮かべる「エイトマン」。そんなジャンキーなヒーロー達が大好きだった。
閉塞感と圧迫感溢れる六畳間には柱だけではなくテレビも鎮座していた。巨大な白黒テレビだったが、こいつは路上物件、拾いモノだ。場違いな大 きさのテレビがさらに息苦しさと暑苦しさを倍増させていたわけだ。そんな生活をしながら60年代は終わり、70年代がなんとなく始まった。


2009/11/27

読んだ!フリージア全巻




「フリージア」のことを書こうと思います。
11巻を何回か読み返しました。 けっこうはまってしまいました。
敵討ちが合法化された、御町内で行われる執行人と警護人による代理人戦争ではないでしょうか? そして戦いは仁義なき戦いの超のつく前衛へと展開して行きます。

「フリージア」の世界はまぎれもない日本なのですが、いまの日本の状況のまんま、戦争状態であります。どこと戦争しているのか全く語られていません。ひょっとしたら内戦かもしれません。ぼくは物語中の日本とイスラエルがイコールで結ばれました。国栄えても敗れても山河なし、です。

この漫画と良く似た小説はないかな?と頭の中を引っ掻き回したら、ありました。
ポール・オースターの「最後の物たちの国で」なんてどうでしょうか?

どんな内容かというと、
主人公の女性が、失踪した兄を探しに乗りこんだ国で体験する、数々の悪夢のような出来事を綴った作品。その国は、人々が住む場所を失い、食べ物を 求めてお互いを傷つけ合い、盗みや殺人が犯罪ですらなくなってしまった、極限状態の世界。あらゆるものは消えてゆき、やがて記憶からも消え去り、すべてが 無へ向かう中、最後まで自分の手元に残る物はなにか?
こんな話です。 これはもはや終わってしまった後の世界の話です。

「フリージア」も終わってしまった後の世界。 極限の不条理。
「フリージア」の登場人物達とはあまり友達になりたくありませんが、みんな魅力的で濃いです。
ぼくはダメ警護人の岩尾ヒサエが好きです。
チャールズ・ブコウスキーの遺作にして最高傑作だと勝手に思っている探偵小説の形を借りた珍妙な小説である「パルプ」の主人公、探偵小説史上最低の私立探偵である(と勝手に決めつける)ニック・ビレーンを彷彿させます。
ヒサエは「そうだ…自分(おまえ)が死ねばいい」
ビレーンは「人はみないつか死ぬ…」
二人はこのセリフを繰り返し口にします。

絶望で真黒に染め上げられた「フリージア」ですが、11巻の最後で、もはや死んでしまったケイコの亡霊というか妄想に、さよならを言い、亡霊のケイコがヒロシの肩に手を置き「さよなら、ヒロシ」と明るく言いながらキスをするシーンは感動的でありました。

2009/11/22

あえて無題です・・・・