2009/12/13

ぼくのお家に遊びに来てね!



あの家はいったい何だったんだろう?と最近思う。いちおう一軒家なんだけれど、ニ階に上がる階段は、肝心かなめの天井部分がベニヤ板で見事に塞がれてい る、つまり二階に上がる、二階から一階に降りることが出来ない家。これは二世帯住居にして、家賃をまんま二倍にしようという大家の陰謀だ。天井を塞がれた 階段は、ただの純粋階段として、極めてコンセプチュアルな存在をしていたことになる。貧民窟の現代芸術。
労せずして出現したコンセプチュアル・アート。

ぼくたち家族五人はここの一階で生活していた。じつは二階でも暮らしていたんだけれど、一階で暮らしていた家族が、夜逃げ同然に出て行ったのを見計らい、風呂のないニ階から、風呂のある一階に引っ越した、というより移動したのだ。
純粋階段の存在だけでも死ぬほど笑える家だが、一階部分の面白さは、これだけではない。間取りは六畳、三畳、鰻の寝床のような台所、トタン張り の風呂場と物置きだ。これだけならば何の変哲もない、超のつく狭小住宅だが、問題なのは六畳間の真中に、なぜか柱が立っていることだ。そして畳から天井ま での高さが半端じゃなく低い。当時、小学校2年生だったぼくが手を大きく伸ばしてジャンプをすると、天井に手がついた。三畳間に至ってはジャンプをするこ となく、なんなく手がとどいたのだ。そしてどこを向いても圧迫感と閉塞感溢れる空間を切り裂くように鎮座している柱の存在は、なにか現実を突き抜けてし まったものを感じる。
夜、さぁ寝ようか、と家族全員の布団を敷きつめると、布団の間からにょっきりとそびえ立つ柱。寝返りをうつと必ずぶつかる柱。夏は兄弟三人しが みついて、ミーン、ミーンとセミの泣きマネをした柱。見ようによっては、映画“2001年宇宙の旅”の冒頭に出てくるモノリスのようにもとれるが、所詮は ドンブリ勘定でこの家を手掛けた大工の棟梁の悪意だけが伝わってくる、そんな家なのだ。便所(トイレとは呼べないシロモノだ)は汲み取り式。おそろしく小 さな便壷なので、親子五人がフルに大小便を排出すると、すぐに満杯になってしまった。困ったぼくたちは、母親を省く、男四人(内訳はオヤジ&男兄弟三人 だ)の小便は庭でする、というルールを決めた。おかげで便壷はパンクしなくなったが、小さな庭の草花は全て枯れ、庭から異様な臭気が漂ってくるまでに時間 はさしてかからなかった。隣に住んでいた大家は、当然のことながら激怒した。

「おい! なんの恨みがあってションベンまき散らすんだよ!犬だってもう少しましなションベンのしかたをしているのに、あんたらはなんなんだよ!」

「えぇっ! こんなひどい便所を作ったのはお前のせいだろ!」

と言いたいところだが、ぼくたちは平身低頭平謝り、そくざにオシッコ場をトタン張りの風呂場の外側を流れる排水溝に移動する。ぼくたちは面白が り、四人一列に並んでトタンめがけて放尿する。真冬の四人放尿は湯気が一気に立ち上がり、とても幻想的。真夏は言語道断なアンモニア臭さ、あきらめて沈黙 する大家……。トタンはどんどん腐りはじめ、しまいには穴が開いてしまった。トタンめがけて放尿しながら、ぼくは小学校時代をこの家の二階と一階で過ご す。当時は何も比べるものがなかったので、これがごく普通の生活だと思っていた。

小学校には毎日通っていたが、授業中、休み時間、給食、放課後という学校での生活は、終日気絶していた極めて自閉的な子供であった。群れの法則 に従い、毛色の変わったヤツは虐められたりするわけだが、コミュニケーションが成立しない宇宙人は虐めの対象にすらならない。お友達関係を求めるフェロモ ンが限りなくゼロなわけだからしかたがない。そんな生活の中で、ぼくはマンガとテレビに耽溺していった。

当時のマンガ業界は、月刊誌から週刊誌への移行期だったように思う。種類も圧倒的に少なく、今では信じられないことだが、ほんの少しの努力で、 売られているマンガの全てを読破することが出来た。母親はなんの躊躇もなく、マンガ本をぼくたちに買い与えた。閉塞感溢れる家の中で育ち盛りのガキに暴れ られるよりも、雁首突き合わせて、静かにマンガを読んでいてもらいたかったわけだ。もちろん欲しかったマンガの全ては買ってもらえなかった。それでもノド から手が出るほど欲しいぼくは、その度に禁断症状をおこし、六畳間の柱を力いっぱい蹴った。それでも気持ちが治まらないときは、近所のゴミ箱をあさり、そ れでもゲット出来ないときは黙って本屋の前に立ちつくし、お目当てのマンガを手に取りそのまま脇に抱え、黙って帰宅した。

目を皿のようにして耽読し、読み終えたマンガは必然的に弟の手に払い下げられた。お気に入りのマンガは、笛を吹けばどこでも現れる、ロケット変 身モノ?の「マグマ大使」、謎の注射をすると限りなく巨大化する「ビッグX」、エネルギー補充がなぜかタバコ状の物体、それを吸うことでなんとも恍惚の表 情を浮かべる「エイトマン」。そんなジャンキーなヒーロー達が大好きだった。
閉塞感と圧迫感溢れる六畳間には柱だけではなくテレビも鎮座していた。巨大な白黒テレビだったが、こいつは路上物件、拾いモノだ。場違いな大 きさのテレビがさらに息苦しさと暑苦しさを倍増させていたわけだ。そんな生活をしながら60年代は終わり、70年代がなんとなく始まった。