2010/06/28

スティーブ・レイシーのこと

  1. 30年近く前になりますが、横浜で富樫、レイシー、ケント・カーターのトリオを観ました。すごすぎて当時の私には何にも理解できませんでした。 RT@necoug 富樫さんとレイシーがしみる
  2. 響心会のブログを更新しました。 [発達障害]Out Of Control → http://am6.jp/cGMeuO
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 じつは亡くなったスティーブ・レイシーを今あらためて聴いてみても面白さが今一つ分らない。ちょっと不思議な音色なので印象には残る。ぼくがもっとジャズを分る人間ならばもう少し違った印象を持ったんじゃないかと思う。不思議なユルユル感でけっこう複雑な音楽を演奏していたんじゃないかと思っている。


2010/06/22

記憶の果て

  1. オヤジは70の誕生日を迎えた三日後にホスピスで逝った。あの世でなにを考えているのかインタビューしたいこの頃だ。あの世でもニコニコ笑っていると思うが。背中の痛みからは開放されただろう。
  2. @SomiHongo 激貧の生活を思い起こすと、底をついた生活費の中での生活よりも、人との関係を築けなかった両親の行動様式から来るであろう、選択範囲ゼロというか読み取り感じ取ることゼロの情報欠如な日々だっと思います。
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子供の頃の激貧生活は堪えたんだと思う。
自分の心の中に消すに消せない記憶というか傷痕として刻印されている。
弟達は忘却のかなたという地獄の釜の最深部にしまい込み、一生涯アクセスすることのない記憶として処理しているのが、久々に会って当時のことを話してみて分った。
やつらは「そんなことあったけ?覚えてないなぁ」だ。

2010/06/21

石原さん勘弁して下さい!そして昨日は父の日

  1. RT@komichi2: RT@panta_rhei2004: ....一度でも「表現」というものの有効性を信じた事のある人…いや、「表現」に救われた事のある人、慰められた事のある人、全ての人に聞いて欲しい。この男が、何を言ったかを。 http://bit.ly/cPlchV
  2. komichi2さんのツイートをRTしました。石原東京都知事が「性描写漫画の作者は卑しい仕事」と18日の定例記者会見でぶち上げているという内容です。石原さんは有名な小説家であり作品もたくさん出版している、まさに表現の最前線の表現者なのになんでこんなことを言う。これは新種のギャグ?
  3. 今日は父の日らしい。あたしは父親やっているが何の感興もない。そして今日はstudio-bamiにてWSを開催。男の子ばかり集まり、蜂の巣を突いたような騒ぎになる。スリリングだ!
  4. あたしのオヤジは11年前に膵臓癌で逝った。背中が痛いというオヤジを連れて医者に行ったが問題ないと医者は言う。痛みは治まらずに日々は過ぎオヤジはやせ細っていく。当然のように医者をたらいまわしになるが、全く問題なしという診断だ。で、見つかった時には余命一月だ。くそったれだぜ、。
  5. 様々な状況、人との関わり等に対して想像力をフルに働かせて読み取ることを放棄している状態でしょうか。お金だけの問題ではないと思います。難しいです。 RT@moe_ama: 貧乏の定義って何だろ。
  6. オヤジは姉の家で結婚生活をスタートさせた。その家であたしは生れた。姉の家で無邪気にセックスをするオヤジの感覚について考える。その後近くの六畳一間の小屋に引越し、ほぼ年子で男の子が生まれる。若かったこともあるが、並外れた性欲の持ち主だったと思う。
  7. あたしの母親は死ぬまで絶対に口を割らないと思うが、あたし達を生んだ後、おそらく何回か中絶したのではないかと思っている。ニコニコと笑うだけで生活力ゼロのオヤジは家族を持ったことで激貧のどん底を歩くことになるがずっと笑っていたすごい人だ。あたしはオヤジのことを恨んでいるんだろう。
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2010/06/20

絵画教室の閉鎖。無念だ!

  1. 娘が週一回通っていた絵画教室が閉鎖された。、というか無くなった、いきなり終わった。6/11~13まで年間で一番大きなイベントである発表展の開催前になくなった。小5の娘はここに五歳から通っていた。素晴らしい教室。絵画教室なんだけど、何を創っても良い教室だ。
  2. 創っている作品を通じて子供達のクリエイティブな感覚を、子供達と共有し共に育んでいくT先生の生き方というか拘りは素晴らしかった。残念だというか、あぁっ・・・という絶望感に似た気持ちを数十年ぶりに味わった。
  3. そんな中、T先生から連絡があり娘の作品を回収しに教室に出掛けた。久しぶりは、発表展前だったためか子供達の創った様々なオブジェや絵画や、今回の発表展の目玉である、子供達のダンボール製の等身大人形であふれていた。子供達と親御さんと久しぶりに会った。
  4. 無くなった経緯について簡単に書こう。T先生の御主人は小さな出版社を経営していた。絵画教室はこの会社の事業所という扱いだ。この出版社はよくある自費出版のサポートと配本と某中堅出版社の下請けであるところの編集プロダクションという営業内容を柱に、自分達の企画する単行本を出版していた。
  5. それがここ3年ほどの間に柱の営業が全く立ち行かなくなってしまった。ぼくに言わせればこんなの当たり前なことで、ぼくの周りの小規模出版社も編集プロダクションはもっと以前から倒産や廃業に追い込まれていた。都内の出来事ではないので多少のタイムラグがあったのか?
  6. 書籍の流通であるところの再販制度や委託配本制について考えさせられる。東販、日販といった書籍の取次業者の存在についてとか、書籍にまつわる諸々について考えさせられた一日であった。倒産は今まで築いてきた、お金では買えないいろんなこと、人やネットワークも根こそぎしてしまう断末魔の悲鳴だ。
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2010/06/18

ピアニストなのにダンサーなんです!

  1. 観ましたよ。ぼく的にはけっこうキュートに見えました RT@shimizutomomi: 私が即興ダンスやボイス・演奏を担当する”t”のライブ映像が、アップされたそうです♪でもマジメに自分が怖い… http://youtu.be/8hrqCIGcxJs?a#followmeJP
  2. これ本当の話ですか?だとすると人間の存在自体の罪深さについてしばし考えました RT@watarloo: 恐怖新聞より生身の人間のほうが怖いなあ>「 一生懸命娘を育てた結果がこんなことに」 http://j.mp/bYqQSl ”@contractio
  3. RT@michioariga: 発達障害臨床の中で、多面的評価を行うが、「得意なこと苦手なこと」の評価に終始することが多々。それも大切な視点だが、もっと大切なことは、「日常のつまらなさ感」の評価である。発達障害を抱える子どもたちは得意不得意のことよりも、毎日のつまらなさを...
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清水友美 さんは卓越したピアニストなんだけれど、ぼくはダンサーとしての彼女と知り合い今日に至る。リック・フェラーリの作品だけでリサイタルをやったりする気鋭のピアニストなんだけれど、ぼくにとってはコンテンポラリーダンサーの清水友美 さんなのです。


2010年6月12日 "t" imaginary landscape 1/2 blanClass+night_中川敏光、後藤天、清水友美

2010/06/17

映画:音の城♪音の海





“聴こえますか?あなたの世界を変える音楽”
知的な障害をもつ人たちと、音楽療法家、音楽家たちによる即興音楽。公演までに重ねられたセッションと対話を丁寧に綴った珠玉のドキュメンタリー
――これは音楽?それともノイズ
見事なまでの失敗の連続が、やがて静かに<音楽>を奏ではじめます。
監督:服部 智行
出演:音遊びの会、ゲストミュージシャン(大友 良英、千野 秀一ほか)
【入場料】
当日一般 1500円 小学生未満 無料 / 小学生 500円 / 平日学割 1,000円 60才以上、障害者 1,000円 夫婦50才以上は2人で2,000円
詳細は、http://otonoshiro.com
菊地成孔(音楽家、文筆家、音楽講師)
こういうシュチュエーションは、予め感動する事が約束されているので、かなり狡い映画だと思う。でも、狡いと解っていてもとても感動する。そもそも大友良英さんのルックス自体が子供達と親和性があり、そういうことさえも解った上でやっていると思う。恐ろしい事に、それでも素直に感動してしまう。この<強さ>が問題でもあり、宝でもある。
●大友 良英
他の人にどう聴こえるかは全然わからない。
でも少なくともオレにとっては宝物のような音だ。
映画「音の城♪音の海-sound to music- 」予告編

2010/06/16

ツイッターの暴走そして自分の得意不得意に関して

  1. ツイッターが暴走していた。SE30の頃のマッキントッシュはもっと理解に苦しむ暴走をしていたのを思い出す。まぁ規模が全然違うんですが。爆弾マークが懐かしいw
  2. 住処のある駅前の本屋がほぼ壊滅し久しい。ただし東口に小さいのが息を殺して棲息している。どうしても「CASA BRUTUS」が欲しくなり、絶対あると見越して出掛けたがなかった。以前は置いていたのに置かなくなっていたわけだ。本屋の存在意義について深く考えてしまった。
  3. これは本当のお話なんでしょうか? RT@amekura101: RT@mentur: レンホー議員の公設秘書の痴漢事件の記事を読んだけど・・ 夜中の2時? 18歳の女性が1人で歩いていて? 酒に酔った秘書が自転車に乗りながら、スカートをめくり上げ・お尻を触った? ...
  4. @vionvio 昭和49年にNHK総合で放送されていた「勝海舟」でショーケンが岡田以蔵を演じていました。なかなかやるせない岡田以蔵だったのをよく覚えています。奇声を発しながら敵に刀を振り上げるシーンが本当にやるせなく寂寥感あふれる岡田以蔵でした。
  5. 響心会のブログを更新しました。 [響心会の事業内容]にゃんこの館、求人情報 → http://am6.jp/bVnIei
  6. @nketsuma 乾杯!!おめでとうございます。クリエイティブな音楽を演り続けて下さい。
  7. Max/MSP/というソフトウェアがある。最近ではJitterというのもくっついて凄い事になっているらしい。私は何をかくそう正規ユーザーなんだけれど習得に挫折しました。赤松・左近田両氏が書いた電話帳のような参考書も購入したけれど挫折した。
  8. 挫折した原因はMax/MSPで何をするのか?というヴィジョンが欠落していたこと。この作業は自分に向いている、と思ったが幻想だったことにやっと気付いた。自分のことは分っていると思っても、なんにも分っていないという事実。ロジカルな作業&思考がほぼ100%出来ないことが拍車をかける。
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 Max/MSPについて補足。Max/MSPはプログラミング環境で、つまり道具を作るための道具であり、ぼくが欲しいのは道具を作るための道具ではなく、道具そのものだということ。
そして自分に何が出来て何が出来ないのかを よ~く知ることが一番重要なことだということ。



2010/06/12

建物の記憶

建物の記憶はあいまいだと思う。

あるべきはずのところにある建物がある日なくなって更地になっている。
更地を見て驚いたぼくは記憶の糸をまさぐるが困ったことに何も思い出せない。。。。

あれぇ?としばし考えるも何も出てこない。
見ているようで何にも見ていないんだな。 ぼくの場合はこんな按配だ。

住処のそばにサティがある。 一時は親会社の経営がよくなかったらしいが、
今は大丈夫らしい。 でもこれはサティのお話じゃないんだ。

ある日、サティのそばを走る埼大通り沿いを通ると広い空地が広がっていた。
ここに何があったのかぼくの脳味噌はご多分にもれず思い出すことができない。
奥さんに聞いたらそこにはロイヤル・ホストがあったのよ、といわれて愕然とする。

住処の周りではファミレスの閉店&撤収&取壊しが結構進行しているような感じです。
デニーズは知らないうちにローカルなカレー屋になっているし、すかいらーくは同系列のイタリアファミレスに衣替えしたけれどお客さんはどうやら入っていないみたいだ。

そして不思議なことに住処の周りでは、インド・ネパール系のカレー屋が二件も新規開店しているのが不思議だ。

原住民たちが飛び抜けてカレー好きとはどうしても思えません。

そういえばデニーズはカレー屋さんになったし、カレー包囲網は原住民の知らないうちに進んでいるんじゃないだろうか?

カレーのことを考えはじめるとついつい深入りしてしまうこの頃だ。

PS
駅前のラオックスも閉店してしまった。
ラオックスはアキバでも閉店してしまったように思うが、何が起こったんだろう?
きっと倒産したんだろうね。

2010/06/11

学校について考えた

  1. 響心会のブログを更新しました。 [コミュニティ]映画:音の城♪音の海 → http://am6.jp/blHoHG
  2. 60年代に小学生でした。給食酷かったです。はと茶ミルク最低。脱脂粉乳世代です。ゆえにいまだに温かい牛乳が飲めません。これも業でしょうか。 RT@momoShika: 好き嫌いがほとんどないのに給食は食べられなかったのも、いま思うに業の片鱗じゃないかと。
  3. ぼくは埋めてるみたいです。空間恐怖症か。 RT@michioariga: 句読点のない人、絵文字を多用する人、140字びっしり埋める人、逆に10文字くらいのつぶやきを多発する人・・・いろいろいますよね。何となく、日頃の生活における「癖」みたいなものが出るのかな。
  4. 6/5は五年生になる娘の通う小学校の学校公開日だった。昔は父親参観日と言われていたヤツだ。社会と算数の授業を見た。社会では200カイリ海域での年度毎の漁獲量の推移と漁業従事者の変動の数字から折れ線グラフを作成してGoogle Analyticsさながらなアナリーゼをする授業。
  5. 信じ難くレベルの高い授業なんだけれど、みんなこれ分っているの?と娘に聞くと、分っているそうだ。数字のから具体的な状況を推察するのはすごく抽象的な作業だと思うが。ぼくはクラスの半数以上の子供が理解出来ていないと思った。もっと他の事を例題にしてやればと思うが、そうはいかないようだ。
  6. 算数の授業は先生が交代した。若い女の先生だけど、張りのある声と気が強力に教室の隅々まで伝わる。コレはこの先生の天性の資質だと思った。教室の空気が凛とした清々しい空気に変わり、子供達の顔が上気してくる。これは習って出来ることじゃないが、先生に必要な力はこれだと思った。
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2010/06/10

学ぶ、ということを考えた

  1. 理解できます RT@3keys_takae: 学歴や肩書きって一つの尺度に過ぎないんだよな。否定してるのではなくその尺度を必要としてる時にしか意味をもたない。でもその影響力が今の社会において必要以上に大きいから学歴等をつけるとまるでそれ以上のところでも優れているかのような...
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学ぶ=学校と見立ててみると、ぼくは全く学ぶことが出来なかった。このことを書き出すと長くなるのでかいつまんで書いてみるが、お情けで入れてもらった一 年保育の幼稚園も、その後に続く義務教育もダメダメだった。お話にならないくらいダメダメだった。学校も授業も一生懸命好きになろうとしたんだけれど、学 校もお友達もぼくを受け入れてくれなかったというルサンチマンが今でもぼくの気持ちの奥底に横たわっている。


そんな孤立した小学校時代だったが、ぼくはつげ義春を耽読し、ゴミ捨て場に捨てられていたギターを拾ってきて、そのギターでつげ義春と同じくらい好きだったバッハの音楽を独学で探り弾くことを始める。


他人が認めるか認めないか分らないが、学ぶことに定石はないと今でも思っている。  




2010/06/08

二宮秀樹クンに会えたらいいな



 1966年7月4日から翌年1967年9月25日まで「マグマ大使」全52話が放送された。驚くべきことに「ウルトラマン」に先立つこと僅か13日、 ヒーロー作品としては日本初の完全カラー作品であった。有名なテーマ曲を作曲したのは、いまは亡き山本直純さんだ。さて、どんなお話かというと、地球の創 造主であるアースが、人類を守るためにロケット人間マグマ大使、モル、ガムを生み出し、マモル少年にマグマ大使を呼ぶ笛を託し、ゴアの魔の手から地球を守 るために、ともに戦う、というお話だ。マンガを読み疲れた後は、テレビのチャンネル(当時は巨大なダイヤル式だ)を寝るまで回し続けていた俺は、当然なが ら「マグマ大使」にはまった。ただし少し変わった“はまり方”をしてしまったようだ。

 俺は、ガム役で出演していた二宮秀樹クンに、尋常ではないはまり方をしてしまった。興味を持ったものには、とことん耽溺した俺だが、人間にだけ はどうしても興味が持てなかった、というよりも無関心であった。そんな俺が、画面の中の二宮秀樹クンの一挙一動から目が離せなくなってしまった。
「あたりきだい!」と明るい笑顔で、画面せましと走り回る二宮秀樹クン。
“可憐”という言葉を使うのがとっても恥ずかしい俺だけれど、可憐というのはなにも少女だけの専売特許ではない。二宮秀樹クンは、それはそれは可憐な少年だった。鈴のような声で
「しんちゃん、遊ぼう! なにグレてんだよ。困ったなぁ……。動けないんだったら、ボクの手につかまりなよ! さぁ出発しよっ!」
 なんて涼し気な目で、肩をポンッと叩きながら言われたら突っ伏して号泣してしまうだろう。毎週、お話そっちのけで二宮秀樹クンの姿を追う俺。俺は自分のチンコが勃起しているのにはじめて気がついた。たんなる配水管だと思っていたのに、
「なんなんだよ?これは……」
 と思いながらも、せつなくも息苦しい、なんともいえない感情を忘れることが出来ない。

 テレビで「マグマ大使」を鑑賞しているだけでは飽き足らない俺は、二人の弟を相手に、“マグマ大使ごっご”に興じるようになった。当然、マモル 少年が俺。どちらかの弟がガム。残った方の弟がゴアを含む全ての悪モンだ。二宮秀樹クンとは似ても似つかない弟を二宮秀樹クンだと思いながら、遊びに興じ ている時の感覚は、大事なものが音を立てて崩れていくような、なんともアンビバレンツな感覚ではあった。あまりにも弟が似てないので、二宮秀樹クンの顔を 描いた、酷いお面(画用紙です)を被せたこともあった。たかが子供のやったこと、遊びとはいえ、我を忘れ、感極まった俺は、弟を力まかせに抱き締めなが ら、
「さぁ! 地球を守ろう!」
「ぎゃあぁぁぁぁ!! 兄ちゃんやめろよな!よせよ~!」
 というシーンを何度も懲りずにやってしまった。ここまでやれば立派な外道だろう。抱き締めるなんて行為が、なぜ出来たのか不思議だ。耽読していたマンガの影響であることは明白だが、心と身体がリンクしているわけではないので、なんともいえない気持ちに襲われた。
寂寥感というやつだ。

「マグマ大使」の放送が終了した。二宮秀樹クンにもう会えない……俺は深い絶望を味わった。弟達はホッとしただろう。見るに見かねたのかどうか分 からないが、オヤジが俺たちを映画に連れて行ってやろうか、と誘ってきた。本来なら楽しいお誘いだが、オヤジの誘いが何を意味するのか熟知している俺たち の気持ちは、ちょっと複雑だ。映画館の前で横一列に並んだ俺たちは、
「よおし!全速力で入口を突破するんだぞ、わかったな。落ち合う場所はいつもの自動販売機の前だ。それっ!」
 俺たちはたくさんの映画を見た。ただしお金は払ったことがないのだ。
「こらっ待て! おい、あんたの子供だろ? なんてことをするんだ!」
「なんだよ! 言いがかりつけんじゃないよ。あんな子供、知らねぇよ!」
 映画館の人間とオヤジのこんな罵り合いは、何度となく耳にした。段取りが巧くいったとしても、俺の気持ちはとても暗かった。暗い気持ちのまま見 た映画が「大魔神逆襲」(大映)だった。なんともいえない重厚な音楽が印象的な映画だった。作曲したのがつい先日亡くなった伊福部昭氏だと分かったのは、 かなり後のことだ。そして驚くべきことに、なんと二宮秀樹クンが出演しているではないか。慣れ親しんだガムのコスチュームではなく、全身時代劇調ではあっ たが、二宮秀樹クンに間違いはなかった。
あぁ、やっと会えた……。
 俺は放心したまま映画を見ていたが、わけもなく泣けてきた。怒られたり、虐められたりしなくても、泣くことがあるのをはじめて知った。

2010/06/04

音楽の仕事について

  1. 響心会のブログを更新しました。 [発達障害]些細な面倒くささに囲まれて → http://am6.jp/cwwyZU
  2. サウンド&レコーディングマガジン6月号を特集に引かれて買う。たまに立ち読みしたり買ったりしているが、取り上げられている人も書いてあることも広告もほとんど分らない。でも、ミュージシャンとして生き延びていくための2010年型ライブのやり方・稼ぎ方という特集は興味深い。理解出来るのか?
  3. 特集に登場するブンブンサテライツというバンドは全く知らない。でも自前のスタジオを持っていてすごいと思った。そしてストリングセクションの録音風景写真を見て驚く。まとめ役の人がいて、その人が中心になってセクション単位で仕事をしているんですね。セクションになって真価を発揮する弦楽器か。
  4. 自分達のライブをするために、ライブハウスをDIYで造った、世界の終わりというバンドに驚くが、ホームグラウンドを持つという発想は理解できる。ベルリンフィルはフィルハーモニーホール持っているしね。しかしライブハウスのチケット・ノルマ制度は不滅なんですね。
  5. まぁ咀嚼できたのはこのあたりまで。麻雀もパチスロもやらないぼくが間違って読んでしまった、麻雀マンガやパチスロマンガと分らない内容ということでは同列だ。死海文書みたいだ。
  6. @tokuhisawilliam 現代朗読協会という団体は何だろう?とぼくも注目しています。ピグノーズは中野からスペカラに向かう途中で見つけました。朝までフリーセッションやる企画があったりする不思議な小屋ですね。なんか面白そうなので現代朗読協会のイベント近いうちに参加してみます。
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2010/06/01

キリコを一気読みだ

  1. 響心会のブログを更新しました。 [コミュニティ]西垣籌一とみずのき寮のこと → http://am6.jp/bvivHQ
  2. 5/27のことだけれど、fujiehideyaさんのホームパーティーに招かれる。もてなしてもらい超感動する。ジンなどを飲りながらマンガの話をする。「キリコ読んだ?」とfujiehideyaさん。「読んでないよ」と答えると、「あげます。面白いよ」と全四巻をプレゼントしてもらった。
  3. fujiehideyaさんからプレゼントされた「キリコ」(木葉功一・講談社・全四巻)を一気に読んだ。どうやらなかなか有名な話みたい。絵は荒っぽいが実は繊細。サインペンで書いたコマは「幽遊白書」最終回間際のキれた冨樫義博の画風を感じる。書き込みまくっているんで画面がいじょうに黒い。
  4. ストーリーはすごくストレートで分りやすい。ぼくが好きなキャラはキリコのオヤジである榊俊雄だ。いきなり登場する殺し屋の朧崎もいい。で、このお話で一番悪いやつは主人公の遊佐朗だと思う。こいつは超のつくモテぶりだ。男にも女にも。こいつがバタバタ騒がなければ世の中まるく収まっていたのに。
  5. マンガはあまりにも多岐に及んでいて追っていくことは不可能です。『GANTZ』は立ち読みしているけれど、相変わらずジェノサイトな展開で、捕獲された人間達は食料にされるのは明白でしょう。どうせ食料にするんだったらもっと良い方法があると思うんだが。相手は超文明星人なのにね。
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エヴァン・パーカーの迷宮



「MONOCEROS」のside1は21分30秒におよぶソプラノ・サクソフォンのソロである。切れ目なしの循環呼吸(!)は圧巻。そして驚異的な重音奏法による音の一つ一つは何とも奇妙なポリフォニーの世界を構築する。不思議な音響作品。
ニワトリ小屋の中に、腹を空かしたネコを一匹投げ入れ、大暴れさせたらニワトリはどんな鳴声をあげるか想像してみてくれ。そんな音楽だ。

俺は当時このレコードを何の先入観もなしにゲットした。この挑戦的な目つきでサクソフォンを構える、パーカーの写真に痺れたからだ。
帰宅し、はやる気持ちを抑えながレコードに針を落としたら阿鼻叫喚のニワトリ小屋だ。あまりのすごさに大笑いしてしまった。1980年のことだ。

エヴァン・パーカーは1944年にイギリスのブリストルに生まれたテナー&ソプラノ・サクソフォン奏者だ。60年代半ばからデレク・ベイリー(ギ タリスト)らとともに、ジャズの影響下を離れ、当時の現代音楽(シュトックハウゼンやケージね)から多大な影響を受け、作品を発表し始めたことだと思う。

当時の俺は「こいつのライヴを観たい聴きたい!」と激しく思いを馳せながら、月刊誌だった「ぴあ」や「シティ・ロード」を隈なくチェックをしていたが、来日したなんて情報はついぞ載らなかった。
インターネットで調べるなんてもってのほか。モデム経由でホストコンピュータにアクセスするパソコン通信が産声を上げるのが数年後。パーソナルコンピュータなんて存在すらしていなかった。
アキバではワンボード・マイコンが出回りはじめ、先鋭的なオタク達が、この新しいマシンに注目しはじめた頃だ。

そんなある日、友人のコントラバス奏者であるMから電話があった。
「しんちゃん、面白い話があるんだけど」
「なんだよ、あらたまって」
「パーカー好きだよな」
「好きだけど、どっちのパーカーだい? チャーリーか、エヴァンかい?万年筆には興味はないよ」
「エヴァンに決まってるだろ。来週の日曜日に新宿でプライベートコンサートがあるんだけど行かない?」
「!!!!!!」

1982年のことだ。場所は歌舞伎町の「ナルシス」。今はあるのかな?
ウナギの寝床のような小さな空間に、立錐の余地もないほど客が入り、会場は酸欠寸前だ。そんな状況下で巨漢のパーカーはソプラノ・サクソフォンを吹きはじめた。
俺は目を皿のようにして、ことの成り行きを見守ったが、なぜかつまらなかったのだ……。彼の表情にもなぜか焦りのようなものがうかがえる。そしてパーカーとはその夜以来、完全に決別した。それから20数年、話はやっと文頭に戻る。

「MONOCEROS」のジャケット裏にはパーカー自身による解説がある。要約すると。
「私はこの録音を成功させるために、ふさわしい録音方法と録音場所を見つけるのに、2年間を費やした……」ということだ。俺はこの人の音楽を味わうには最悪の環境下で聴いたことになる。極めてデリケートな音楽だったわけだ。
「MONOCEROS」の音はとても痛い。あまり広くない、石造りの空間で吹いているのが良く分る録音だ。生演奏至上主義も分るけれど、こういっ たレヴェルの高い録音作品を聴くと、再生芸術の今後はどうなるのか考えてしまった。俺はSACDのマルチチャンネルフォーマットで、雰囲気を丸ごとパッ ケージしたエヴァン・パーカーのソロ作品をぜひ聴きたいと思っている。