2009/11/01

セルゲイ・ハリトーノフ - Wikipedia

セルゲイ・ハリトーノフ - Wikipedia

モスクワの小さな総合格闘技大会に出た際、ヴォルク・ハンにスカウトされ、リングス・ロシア(ロシアン・トップチーム)入り。エメリヤーエンコ・ヒョードルがレッドデビルに移籍した後は、ロシアン・トップチームのエースとして活躍する。
バックボーンはコマンドサンボボクシング。特にボクシングの技術は、ミルコ・クロコップをして「相当高い」と言わしめるほどで、ボディーブローの威力は抜群。『PRIDE GP 2004』で対戦したアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラは試合後「あんな強烈なボディブローは受けたことがない」と絶賛した。また、プロ入り前にロシアのアマチュアボクシング・ナショナル大会で、準優勝した経験を持つ。
2003年10月5日PRIDE 武士道にてPRIDEデビュー。ジェイソン・信長(ジェイソン・サティー)と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2004年2月1日PRIDE.27プロレスラーのLA・ジャイアントと対戦、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2004年4月25日PRIDE GRANDPRIX 2004 開幕戦ヘビー級グランプリ1回戦でムリーロ・ニンジャと対戦し、KO勝ち。
2004年6月20日PRIDE GRANDPRIX 2004 2nd ROUNDのヘビー級GP2回戦でセーム・シュルトと対戦。マウントを奪ったハリトーノフは、脚を使ってさらにシュルトの動きを封じ、マウントパンチ鉄槌を 振り下ろしTKO勝ちを収めた。シュルトの目が腫れ上がり出血もひどく、地上波に映すには残虐性が高いため、ダイジェスト版でしか放送されなかった。控室 での他選手の反応なども中継されていたが、「このロシア人は怖すぎる」「人を殺しそうな戦い方だ」などと冷酷なファイトに驚きを隠せない様子であった。 シュルトは試合後、「怖かった。手も足も出なかったよ」と語った。
2004年8月15日PRIDE GRANDPRIX 2004 決勝戦のヘビー級グランプリ準決勝ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦。試合のペースを掴まれ判定負け。グランプリではベスト4に終わる。
2005年2月20日PRIDE.29チェ・ムベと対戦し、パンチの連打でKO勝ち。
2005年6月26日PRIDE GRANDPRIX 2005 2nd ROUNDペドロ・ヒーゾと対戦し、膝蹴りでダウンを奪い、追撃のサッカーボールキックとパウンドでTKO勝ち。
2005年8月20日、リングス・ロシアの重鎮であるニコライ・ズーエフが立ち上げたリングスエカテリンブルクの旗揚げ戦に参戦。フランスのピーター・ムルダーに腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2005年10月23日PRIDE.30ファブリシオ・ヴェウドゥムと対戦し、2-1の判定勝ち。
2006年2月26日PRIDE.31アリスター・オーフレイムと対戦。試合開始直後にテイクダウンされた際に肩を脱臼し、サイドポジションからの膝蹴りの連打で自身初のTKO負け。エメリヤーエンコ・ヒョードルミルコ・クロコップアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラに次ぐ存在と目されていたが、ノゲイラ戦でも指摘されたスタンドでのレスリング技術、グラウンドで下になったときの技術に難があるとの弱点を露呈した。
2006年9月10日PRIDE 無差別級グランプリ 2006 決勝戦において、かつての同門であるエメリヤーエンコ・アレキサンダーと対戦。スタンドでダウンを奪われた後、パウンドでTKO負けを喫し、2006年に入ってから2連敗となった。
2007年2月24日PRIDE.33マイク・ルソーと対戦。腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。
2007年、ロシアン・トップチームを離れ、クラブ・ヴォルク・ハンに加入。移籍とともにHERO'Sへの参戦を表明。
2007年9月17日のHERO'Sで、かつてPRIDEのリングで敗れているアリスター・オーフレイムと再戦、パンチによるTKOで勝利しリベンジを果たした。試合後、かつて所属していたロシアン・トップチームの同門であるエメリヤーエンコ・ヒョードルとの対戦を希望した。
2008年9月23日DREAM.6ジミー・アンブリッツと対戦し、パンチによりタップアウト勝ち(DREAMの記録はKO勝ち)。

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