2010/05/03

2010-05-02 Terminal medical

  1. 強迫観念的だと思います。関わり方は様々。 RT@tinouye: 楽器練習でよくいわれる「1日さぼれば自分にわかり、2日さぼれば先生にわかり、3日さぼれば聞き手にわかる」という強迫観念的な言葉を盲信するのでなく、自分ではどの程度どのように影響するかを冷静に判断すべきだと思う。
  2. @celinejulie チャーリー ミンガスの何を喋っているのか全く聞き取れない喋り方とか、メンバー殴っちゃうとことかも含めて好きです。「フォーバス知事の寓話」が好きです。素晴らしい作曲家だと思います。ミンガスグループに在籍していた頃のエリック ドルフィーの切れた演奏も大好き。
  3. 響心会のブログを更新しました。 [コミュニティ]ギャーテーズのこと → http://am6.jp/aolJS3
  4. 新聞は確実にたまる。たまったらまとめてゴミに出すの繰り返しだ。そんなこんなで新聞の整理をしていたら4/24の朝日新聞フロントランナーの記事が目に付いた。山谷で「きぼうのいえ」というホスピスを運営している山本雅基さん、美恵さんの記事だった。http://bit.ly/3QDj8T
  5. この国のホスピスのことは多少知っている。ぼくのオヤジの最後はホスピスだった。オヤジはちょうど10年前に膵臓癌で逝った。亡くなる十ヶ月前に背中が痛いと言ったのが始まりだ。どんな検査をしても全く原因が分らず、病院をたらい回しになり、最後は精神科に受診した。ポイント外れもいいとこだ。
  6. 最後はどうしようもなくなり救急車を呼んだ。地元では大きな病院に分類されているところの休日診療に運び込み精密検査をしてもらい膵臓癌であることがやっと分った。担当医はおろおろする母親に「膵臓癌ですね、余命一月ですから」と強い口調で、それもきわめて事務的に伝える。
  7. なんとか入院させてもらったが、事務的口調の担当医は「一週間だけ受け入れますが、治療の目処のたたない患者さんをケアすることは出来ません。出来る限り早い時期に転院して下さい」とこれまた事務的に言われる。号泣する母親。くそったれだぜ。
  8. 病院が当てにならないことを理解したぼくらは、前からチェックしていた緩和ケア病棟というか地元のホスピスをもう一度あらいなおした。家からほど近い川崎市立病院・井田病院の緩和ケア病棟に白羽の矢を立てた。http://bit.ly/a717WD
  9. 結果として緩和ケア病棟に入ることが出来た。ここではIさんという看護士さんにお世話になった。Iさんは入所したオヤジをベッドごと見晴らしの良い食堂に連れて行って「病気が治ったら宴会しましょうね!」とオヤジの耳元でやさしく言ってくれた。この瞬間、ぼくもオヤジも救われた。
  10. この食堂の風景を今でも鮮明に思い出す。この日は天気が良く、入所者の何人かは車椅子やベッドで食堂に集まり、静かに静かに外の風景を見ている。数日から数週間のうちに、この世から旅立つ人達の醸し出している気はとても静かで穏やかだった。そして年齢も様々だった。
  11. オヤジはここで誕生日を迎え、三日後に旅立った。人として扱ってもらい、リスペクトしてもらった終の場所がここで本当に良かったと思った。人を人として相対することについて深く考えさせられた緩和ケア病津での短い日々だった。
  12. 響心会のブログを更新しました。 [ライブ情報] 森田智子ワンマンライブ「詩・演・人」 → http://am6.jp/a5mHgB
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