2010/06/10

学ぶ、ということを考えた

  1. 理解できます RT@3keys_takae: 学歴や肩書きって一つの尺度に過ぎないんだよな。否定してるのではなくその尺度を必要としてる時にしか意味をもたない。でもその影響力が今の社会において必要以上に大きいから学歴等をつけるとまるでそれ以上のところでも優れているかのような...
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学ぶ=学校と見立ててみると、ぼくは全く学ぶことが出来なかった。このことを書き出すと長くなるのでかいつまんで書いてみるが、お情けで入れてもらった一 年保育の幼稚園も、その後に続く義務教育もダメダメだった。お話にならないくらいダメダメだった。学校も授業も一生懸命好きになろうとしたんだけれど、学 校もお友達もぼくを受け入れてくれなかったというルサンチマンが今でもぼくの気持ちの奥底に横たわっている。


そんな孤立した小学校時代だったが、ぼくはつげ義春を耽読し、ゴミ捨て場に捨てられていたギターを拾ってきて、そのギターでつげ義春と同じくらい好きだったバッハの音楽を独学で探り弾くことを始める。


他人が認めるか認めないか分らないが、学ぶことに定石はないと今でも思っている。  




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